人生で、最初に「締め切り」を自覚したのはいつですか?
私は、「夏休みの宿題」です。
何とも、苦労知らずで間の抜けた書き出しになってしまいましたが、
いのちの危険にさらされることなく、平和な環境で暮らしているということを前提にすれば、人の「締め切り」に対する態度は「夏休みの宿題」に対する態度で大まかに2つに分類できます。
計画的に速やかに終わらせるタイプか、8月31日の「締め切り」ギリギリまで先延ばしするタイプか。
前者、夏休みの宿題を計画的に速やかに終わらせていた人は
ゴールから逆算して、余裕をもって仕事をすすめて、なおかつ、プラスアルファの付加価値をつけたりしちゃう「できるビジネスパーソン」になっておられるかもしれません。
私は、圧倒的に「後者」のギリギリまで先延ばしするタイプでした。
幼少期・小学生までは、「おとなしく」て「まじめな子」というのが、たいていの大人の評価だったように思います。
何しろ「まじめな子」なので、「締め切り」を常に頭のどこかで意識していて、忘れて遊びまくるということもない。
日曜日は、午前中が終わったら「もう2時や」と、休日の締め切り=終わりを意識しています。
もちろん長い期間が担保されている夏休みも、基本構造は同じ。
その上で、多くの「締め切り」ギリギリタイプと同じく、「8月31日」という締め切りの日を、計画的に過ごすために活かすことはありません。
7月が終わったころに、「もう7月終わった」と1回悲しくなり
お盆が過ぎたあたりから、「あと何日」とカウントダウンをはじめて
そして最終週にようやく重い腰を上げて、工作やら絵日記のたぐいにとりかかっておりました。
毎日記録をつける系(歯磨きカレンダーとか)は、まとめてでっち上げ。
これで、「まじめな子」とか「よー言いうわ!」とツッコミたくなる性質。
子どもの頃から、心のどこかで「何とかなるわ」と思えていたのは、「いいかげんさ」を受け入れてくれる大人がそばにいてくれたおかげかもしれません。
先生は気づいていはったのか?
子ども時代の小さい「締め切り」の辻褄合わせ、代表的なのは「本読みの宿題」や「連絡帳」にもらう親のサイン。
母親は忙しいし自分もめんどくさい。
母親の筆跡をまねしたつもりで勝手にサインしてました。
きっと先生は、気が付いた上で、辻褄があってるなら、手のかからない「まじめな子」枠であつかってくれてたんやろうと思います。
辻褄を合わせて、「それなりのクオリティ」(それなりはスゴイという意味ではなく、文字通り、それなり=できるなりという意味)で、小学校時代はゆるりといろいろな「締め切り」をやり過ごしてきました。
中学時代の「締め切り」
「夏休みの宿題」とか、親のサインを自分がまねして書くとかいう、淡い思い出がいっさいありません(゚д゚)?
「締め切り」という言葉に寄せて思い返すと、思春期の女子特有の「人間関係の締め切り」に追われる日々でした。
誰とグループになるか、
誰とお弁当を食べるか、
トイレに行くか(-"-)
部活の〇〇との関係はあれでよかったか、
あの時のあの態度は、あの発言は、正解だったか?
今日はうまくやれたか?
クラスのグループ、部活のグループ、塾の友だち・・・
中学生特有の「狭い人間関係の中」で、少しでも「まちがえた選択」をしたら、この場からの退場=終了という「締め切り」になってしまう緊張感。
記憶の一つ一つはものすごく断片的。
本当に、消えたくなるほどにしんどかったことは、記憶の奥底に眠ってます。
何とかうまく日々が過ぎるように、狭い人間関係から「締め切り」に合わないように、ギリギリがんばっていた気がします。
高校時代の「締め切り」
自由と言われる校風の学校で、中学時代とは打って変わって、しんどい人間関係のヒリヒリとした記憶はありません。
「自由には責任が伴う」ことをわかってなくて、たいして本も読まず、勉強もサボり、部活と友達とのおしゃべりがただ楽しい、高校生らしいといえばらしい、幸せな時間を過ごしていました。
「締め切り」を自覚したのは、進路選択の時。
母親の「女は手に職がないとあかん」という声が「文理選択」時に急にこだまして、職業選択の「締め切り」が近づいていることを自覚しました。
下のきょうだいを思えば、お金のかかる学校の選択肢はないこと、受験勉強は完全に出遅れてる、医療系短大に進むのが「正解」。
この時に、もっと勉強していたらの「やりきってない後悔」は、他の選択肢があったんじゃないか?という妄想をあとあとまでこじらせます(-_-;)
大きなお金の心配をすることなく勉強だけさせてもらえる環境があって、健康にもめぐまれていたのに、「なんでもっと勉強せんかったん!」って今なら思うんですが、圧倒的に努力不足のくせに「何とかなる精神の人」でした。
では、「圧倒的努力」とやらができていれば何にでもなれたのか?
「何者かにならねばならない」という、誰かと比べてのコンプレックスは、世代をまたぐ危険があります(>_<)
受験生になった自分の子どもに対して、自分のできなかったことを無意識に投影しようとしていることに気づいて「ぞっとする」ことがありました。
繰り返しますが、これは危険です(現在進行形の戒め)。
話を戻して・・・
気の合う友人はそれぞれ別の進路を選んでいく、仲間と教室で授業を受ける風景、「高校生活」は二度と戻ってこない。
「職業選択が一択の、働くための学校」への進学が決まって、ただ楽しかった学生生活の「締め切り」を自覚したのが高校時代でした。
そして医療短大へ
人生初の「締め切り」に間に合わない失敗は、短大時代の臨床実習でした。
療法士ならだれもが通る道である「臨床実習」
卒業単位数との関係で、設定されている期間(2週間から9週間)、実習先の病院に通いながら、指導者の助手について、見学、補助から、備品の片付け、清掃などの雑用をこなして、終了後に指導者の指導を受けて帰宅します。
毎日「レポート」と言う名の提出物の締め切りに追われ、睡眠不足の日々が続くのがあたりまえでした。
※現在、この「レポート至上主義」「睡眠を削る前提」という臨床実習の在り方が社会問題になり、国会にも取り上げられ、定時帰宅!持ち帰りのレポート原則禁止!という風に、制度の抜本的見直しがすすめられております。
とにかく毎日、睡眠時間を削って、「締め切り」に追われ、徐々に体力・気力をむしばみます。
デイリーノート(1日の行動記録)、見学レポート、文献抄読レポート、担当患者さんノート、と大量の提出物を経て、実習最終日までに「事例報告書」をまとめられたら、晴れて実習終了!
たいてい、実習終了一週間前くらいのタイミングで、「事例報告」発表会という、指導者や他の療法士さんらの前での発表という最後の関門があります。
発表用原稿、A3一枚程度のレジュメの作成が必要です。
もちろん、そのころには十数ページに及ぶ「事例報告書」のまとめも佳境に入っています。
最終学年の最後の自習は12月。レジュメが未完のまま、こたつで爆睡(-_-)zzz
起きたときには「電車に乗ってないと到底間に合わない遅刻確定」という失敗をやらかしました(/_;)
とても、寝坊したと正直に言う勇気もなく、もっともらしい理由をつけて、その日を一日休ませてもらって、「無事」合格終了させていただきました。
その後、自分が指導者の立場になって学生さんを受ける番になりました。
「レポートがいつのまにかPCのゴミ箱に入って消えました(*_*)」
という、とんでもなく苦しい弁明をする学生さんがいます。
「そうなんや~(-"-)」と返事をしながら、あの時バイザーの先生、もしかしたら「ズル休み」に気づいてたかもな~と思い返したりしております。
社会人になってからの「締め切り」
はじめての疾患の方を担当する度に、大慌てで教科書や文献を読んだり、「効果がある」らしい研修会に通ってみたり、何とかかんとか、その時「できること」をさせていただく日々。
患者さんとの関係では、毎日が小さな「締め切り」の繰り返しです。
職場内や近隣同業者の集まりでの学習会、研修会の発表者、時々講師として「発表資料」の「締め切り」に追われながら、何とか、その時に「できるもの」を提出する。
「締め切り」を忘れることはなく、常に頭の片隅におきながら、結局、ギリギリになって、当日の朝、できたものを提出する。
ずっと流れる「何とかなる精神」と、「できるようにしかできない」という楽観と一緒に「締め切り」を超えてきました。
「先延ばしの原因は完璧主義と自己批判である」
科学研究論文をわかりやすく紹介してくれるメンタリストDaiGoさんがおっしゃっていて、「そのとおり!」と、ブログ記事にさせてもいただきましたが・・・
子どものころからのこの性質、いろんな「締め切り」を運よく超えてこられてきた「成功体験」のおかげで、今更直すのは手ごわい。
考えようによっては、期日ギリギリまで日常をこなしながら、常に頭の片隅に置いて、思索していることもムダではなくて、最終的な結果に反映されてるのでは?
締め切り直前に自分の中から絞り出される何かが、「自分の味」で、「できるようにしかできない」けれど、それが自分らしさかもと開き直りはじめています。
これまでの日々も、今日も、いつかは終わる人生の時間です。
人生の最後となる日がいつか?は誰にもわかりません。
「人生の締め切り」に向かう「今日」をどうすごすか?
日々の「締め切り」は「自分との約束」。
「今更おそい」とできない理由づくりはやめよう。
したくないことは極力しないでおこう(^^)
「できること」の自分の予測をちょっとずつ超えられるように、「ちょうどいいかげん」に自分に期待しながら、暮らしていきたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました☆
key word :「締め切り」
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