チャレンジ

手仕事から解放された「洗濯」と「選択」の自由は素晴らしいという話

※この記事は「Twitter#3000文字チャレンジ企画」に沿って、画像・装飾なし文章のみ約3000字で作成しています。

スクロールとともに、飛ばし読みで1000文字/分で読んでいただいた場合、3分ほどで読むことができます。

すきま時間にお付き合いいただけると嬉しいです!

 

お題:『せんたく』

「洗濯」の二文字が真っ先に頭に浮かびました。

そのあとすぐに「選択」という手もあるぞと気づいたのですが(^^;

ひとまず、「洗濯」の話題から。

 

ここ数十年の間で、間違いなく一番楽になった家事は「洗濯」だという話。

 

戦前生まれの女性利用者さんとの会話で、よく言われた一言

「あんたの手はきれいやな~」

これは、誉め言葉ではございません(・・;)

節くれだったしわとシミだらけのご自分の手と比べての一言です。

もちろん、心からキレイとほめてくださっていたのかもしれませんが・・・

言われるたびに、恥ずかしい気持ちと共に、

「用事をしてない、苦労知らずの恥ずかしい手です。」と返しておりました。

戦前生まれ、農家をしている義母の手も、団塊世代の母親の手も、分厚くて節の太い「働き者の手」です。

そのあと必ず、大変だった家事の話題で「洗濯」が登場します。

「洗濯」ほどこの数十年で進化した家事はないのではないか?

三種の神器のベストワンは洗濯機でまちがいない!と、盛り上がります。

昭和生まれの自分もリアルに見た事のあるのは、「手洗と洗濯板のセット」。

子どものころに実家でフル稼働していたのは、「二層式洗濯機」でした。

脱水機の中でぐるぐる巻きになった洗濯を取り出しては、パンパンと叩いてしわを伸ばして干すということを繰り返す母の姿を思い出します。

短大時代に寮生活になり、自分のものは自分で洗濯するようになったころには、すでに「全自動洗濯機」が登場しておりました。

洗い終わるまでは「スイッチ一つ」!!

もちろん、「手洗い」が推奨されているおしゃれ着は今もかわらずありますが、基本的には洗濯は「全自動」!

最近は出会う機会が少なくなってしまった、大正生まれの方に、真冬の「川での洗濯」がどれほど辛いか聞かせていただいたことがありました。

家族全員の洗濯を「手洗い」でしていた時代…Σ(゚д゚lll)…には、もはや戻れるはずがありません。

今でも、全自動は洗えている気がしないからと「二層式洗濯機」にこだわって使用しておられる利用者さんに、ごくたまにお会いすることがありますが、もはや全自動洗濯機でないご家庭を探す方が難しくなりました。

うちはもちろん全自動洗濯機。

今のところ、乾燥機能はついていないのですが(心は求めております^^)、「干して取り込んでたたむ」という家事も「懐かしい」と言われる時代が近い将来くるかもしれません。

「スイッチ一つ」で使わなくなった手は、上手に布巾をもみ洗いすることも、絞ることも下手くそになってしまっているようで…

薄く、節も目立たず、使い込まれていない「働かない手」。

「キレイな手」と言われるとどうしても恥ずかしくなってしまうのは、神器のおかげでできた時間を上手に使って、手を働かせているという実感がないからなのかもしれません。

米国の作業療法士メアリー・ライリー氏の言葉

「ひとは心と意思に賦活されて両手を使うとき、それによって自身を健康にすることができる(Man,  through the use of his hands as they are energized by mind and will,can influence the state of his oen health.)」

作業療法士としては、「キレイな手」と言われると、やはり恥ずかしいということなのです。

残り1500字(・・;)

というわけで、後半「選択」ということで最近思うことについて書かせていただきます。

人は、「一日に35000回~90000回」大変幅広いですが(^^;

選択と決断を意識的、無意識的に行っているそうです。

昨今人気のミニマリストは、日常生活での選択を極力シンプルにして、選択に使われる脳のリソースを、本当に大切なことに使う生き方とも言えます。

例えば、朝から着る服を選ぶという「選択」を減らして、毎日同じ服を着るカリスマビジネスマンが有名ですね。

また、身体を作っているのは間違いなく、口から入る食べ物ですから、何を食べるかの選択で、できる身体も異なってくる。

人類の歴史からみると、貴重な栄養源であった糖質がいつでも好きなだけ食べられる時代は、人間にとって未知の領域。

糖質の取りすぎが肥満や糖尿病など現代病の原因になっているらしい…ということで「糖質オフ」を選択する人が増えております。

プレゼントやお土産に「甘いもの」を選択するのは、必ずしも正解ではなくなりました。

 

何を食べるか、何を着るかは毎日求められる「選択」です。

そして、大人は基本的にはすべて自分で選ぶことができる。ということになっています。

「選択」が自分に委ねられているということ。

「選択の自由」があることの素晴らしさを最近特に感じます。

ほんのひと昔前、「川で洗濯」をしていた頃は、日本でも、生まれた時から職業も、結婚するかどうかも、その相手すらも「選択」の余地なく決まっているということがあたりまえの時代がありました。

もちろん、今でも親は選べず、環境や格差は生まれた時からあるけれど、少なくとも日本で生まれたのは幸せなこと。

すぐ近くの国で、自由を訴え行動すること、言葉に出して表現することが「罪」に問われることが起こっていますから。

個々人の環境の違いで、いろいろな制約はあるにせよ、この国では、政治に対する不満を口にすることも、自由に自分の思うことを表現することも、したいことにチャレンジすることもできるはずです。

「できるはず」と書いたのは、「選択」の際に自分の自由意思だけではなく、他人の視線、他人の意見、社会的な要請を必要以上に意識させられるのも、この国の特徴だからです。

 

『同調圧力』により、少なからず「選択」が左右される。

例えば、マスク

つけずに外出した際の周囲の視線、マスク着用を求める店舗が増えているという環境によって、外出時は当然着用があたりまえになりました。

自分が「無症状の感染者である」という前提に立って、「飛沫をできるだけとばさない」ためにつけるということをわかって、マスクをつけることを「選択」していることが大切です。

屋外で、人との距離が十分補償されているなら、熱中症との関係では「つけない方がいい」こと。

小さいお子さんは気道が狭く、余計に熱中症になるリスクが高いので、常時マスクの着用を強要するのは危険であること。

そういったことをわかって「選択」していないと、未知なことへの不安と恐怖で、「●●警察」というようなことになってしまうのだと思うのです。

世の中の価値観も何もかもが「これまで通り」から変わっていく。

 

時代の転換点に今はある。

 

7年前、オリンピックの開催が決まったころ、利用者さんらと「東京オリンピック」まで長生きしよう♪…と「明るく」話題にしていた、当然のように続くと思っていた日常が変わりました。

毎日、満員電車に乗って通勤するのは仕方がないと多くの人が選択していたけれど、それも「あたりまえ」じゃないかもしれない。

会議は、構成員が同じ場所に全員集合して、発言をしてもしなくても出席するというやり方が、多くの会社で選択されていたけれど、それも「あたりまえ」ではなくなった。

新卒入社した会社で一生勤めあげることも「あたりまえ」じゃなくなった。

 

どういう生き方を選択するか

『いのちは一つ、人生は一回』

自分で選べることの幸せを思い、自分の人生を他人に委ねることのないように、

今日という一日を生きようと思うのでした。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました☆

 

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