未経験職種に転職してから、悩み多き日々を過ごしております。
自分が好きで選んだ道。
人生半ばで、「新鮮な経験できている」と思えばありがたい。
…といったように、結局は心の持ちよう次第。
…と、自己啓発書を読んでその時「元気」になったつもりになるのと同じく、他力本願な【宗教】には抵抗を持っておりました。
そんな私ですが、交流制限が日常化し、死を考えざるをえない「コロナ禍」で、「自ら死を選んでしまうこと」の悲しさにふれた時に、助けられたのが精神科医・名越康文さんの著書から知った『仏教』の考え方でした。
今回は、年明けに働き始めてから、YouTubeで出会った『大愚和尚の一門一答』、大愚和尚の書籍を紹介したいと思います。
【大愚和尚一問一答】人生の悩みを越えるヒントを得る
大愚元勝(佛心宗 福厳寺住職)
僧名「大愚」は、大バカ者=何にもとらわれない自由な境地に達した者の意
お寺に生まれた事に反抗し空手家を志した時期を経て、32歳で起業。ビジネスパーソンとしても実績を残され、40歳を目前に寺に戻ることを決意。
従来の慣習や常識にとらわれない会員制寺院を立ち上げる。
YouTubeでのお悩み相談番組「大愚和尚の一問一答」は4年で28万登録を超える。
自身の失敗や経験談を含めた人間味あふれる語り口が魅力。
なぜ、仏教が仕事や生活に役立つのか?
YouTubeの大愚和尚一問一答に出会ってから、宗教の一つである仏教は、いわゆる「信じるものは救われる」的に神様にすがるためのものではないということを知りました。
仕事にも生活に役に立つ、生き方=どのような行動をとることが救いとなるのかが説かれたものです。
様々な年代の方から寄せられる悩みへの大愚和尚の「処方箋」から生きるヒントを得ることができます。
「悪口を言う人」から逃げずとも、「悪口」は、いずれ過ぎ去る
お釈迦様は、迷いや苦しみから逃れる方法のひとつに、「耐え忍ぶこと」を上げています。
「耐え忍ぶ」とは「我慢する」ことではありません。
「我慢」は、もともと仏教の言葉です。七慢ある慢心(おごり高ぶる煩悩を7種に分けたもの。慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢の総称)のうちのひとつで、「我に慢心を抱いた状態」を表します。我に終着しすぎて、うぬぼれ、おごり高ぶり、強情で他を見下した状態が「我慢」です。
現在、「我慢」は「辛いことや悲しいことを、耐える」という意味で使われていますが、この「辛いことを苦しみながら耐える」という態度も、「この尊い私の悪口を言われたくない」という、がに対する自己愛からくるものです。
仏教の「耐え忍ぶ」姿勢は、こうした「我慢」とは違います。
自他の感情に過剰反応して振り回されるのではなく、その悪口の由緒と理由、そして自分に起きている状況を真実の眼を見開いて観察するために「耐え忍ぶ」のです。・・・「いつまでも陰口を言われ続ける」と思うと、心が動かされてしまう。けれど、お釈迦様は、「中傷も、誇りも、苦しみも、間もなく過ぎ去る」ものだとおっしゃっています。
・・・「なぜ、悪口を言われているのか」を落ち着いて観察します。
自分に原因があるなら、それを反省してあらためるべきですし、悪口の原因が「悪口を言っている側」の問題であるのなら、無理に関わりをもたず、なすべきことと、あるべき態度を保って堂々と振る舞う。そうすれば、やがて悪口は去っていきます。・・・自分に覚えがないことで悪口や陰口を言われると、自分に非がなくても逃げ出したくなります。
でもそのときこそ、自分の心の動きを冷静に見つめ、心を落ち着ける。「人として善く生きるための正念場である」と自覚すべきだと私は思います。『苦しみの手放し方』より
新しい職場で出会った子どもたち。
「大人を困らせること」で関係を確かめる子どもの言動、行動。
頭ではわかっても、表面的に投げられる「暴言」に自分のコンプレックスが合わさってしまって、精神的に参ってしまった時に、繰り返し読んで助けられました。
『苦しみの手放し方』には、50の普遍的な悩みへの処方箋がまとめられています。
「禅」とは単なる考え方ではなく実践
禅語は、短く鋭い言葉の中に、私たちの心眼を開かせ、迷いから悟り(気づき)へ導く力を秘めています。何かがうまくいかない人、何をやってもうまくいかなかった人というのは、欲や怒り、思い込みや幻想に惑わされて、起きている問題の本質や、好き嫌いを離れた現実を正しく認識できないことが多いのです。
行き詰ったときに、最後の救いになるのは、常に自分です。「自分で気づくこと」こそが、あなたが最終的に苦しみを手放していく方法です。この本は、迷える現代人にふさわしい50の禅語を選び、私なりの超訳と解説を記しました。どれもこれも私をどん底から救い、今も日々、訓戒となってくれている禅語です。『最後にあなたを救う禅語』はじめに より
紹介されている50の禅語の中には、禅語と知らずに使っていた「日常用語」も含まれていて、それぞれ、はっとさせられる気づきがあり、行動につながる点が本書の特徴です。
「最後にあなたを救う」という書籍名に少し抵抗感があったのですが、
自分を救うのは自分である。
ここに、宗教としての仏教への懐疑心をとり払う、魅力があるように思います。
あらためて考えさせられた言葉『自由』について
「自由」とは、もともと仏教の言葉です。
自由とはすでに得たものに縛られないこと。
自由とは他に由らず、自らに由ること。「自由」とは、勝手気ままにやりたい放題やる、ということではなく、「これまで得てきたお金やもの、神や他人といった自分の外にあるものに由るのではなく、自分の内側に由れる自分を育てなさい」というお釈迦様の教えです。
社会生活のさまざまな場面で、生きづらさを感じている人が多い現代に、仏教の「自由」という言葉が、大切な光となる、と私は信じています。・・・すべては自分次第、自分に由ることでだけ、自由を手にすることができるのです。それが仏教でいう「自由」の語源です。
過去や未来にとらわれず、今成すべきことを成し、今日をたくましく生き抜こうとするあなたはもう、自由なのです。10【自由】 より
『一期一会』は毎日をより良く、特別なものに変える魔法
繰り返しの日々こそ、この「一期一会」という言葉が大切なのかもしれない、と思うようになりました。
・・・家族は、今日も明日も明後日もずっと一緒にいることが前提です。それが当たり前です。ですから、言いたいことを言わずにいたり、あるいは言わなくてもいいことなのに、つい皮肉を言ってしまったり、ということも多いです。
でも明日、別れがくるかもしれないとしたら…。毎日の接し方がずいぶん変わってくるはずです。しっかりお互いの思いを伝え、ときには真剣に悩みをぶつけることで、新鮮な関係が生まれるのではないでしょうか。・・・そして、自分自身の命との出会いも「一期一会」の精神で捉えることができます。
・・・今日は昨日の延長ではありません。今日、自分は生まれ変わって新しいチャレンジができると思ったら、どんなことにも希望が湧いてきます。日常がより良く、特別なものになっていくのです。
29【一期一会】 より
毎日の生活の中で自分を磨く
養育職は、あたりまえの暮らしを支える家事(依存労働)がベースの業務になります。
子どもたちが安心できる生活の場を整えて、家庭料理を提供する。
その日あったことを聴く、子どものちょっとした変化に気づく、ごく自然にそこに居る。
依存していることに気づかせることなく、感謝されることを期待することなく、日々をつないでいく。
「料理が苦手」と自分にレッテルを貼って、ずっと逃げてきました。
我が子も買ってきたものの方が喜ぶし…と言い訳しながら、お弁当や外食に頼ることも多く、料理好きな連れ合いさんに助けてもらいながら、なんとかやりすごしてきました。
ここにきて、料理が大切な「あたりまえを支える仕事」になりました。
「食」は大切な命をつなぐ営みです。
時間通りに十分に満足させられる量、食べるに堪える味の料理をつくることが求められます。
ものすごいプレッシャーで、転職してからの大きな壁になっています。
子どもたちとの関係づくりにも、大いに影響します。
3か月が過ぎた今も、毎回、なんとか食事が提供できては、ほっと胸をなでおろしています。
今は、クックパッドなどのレシピアプリやYouTubeでも料理動画を見ることができ、いくらでも助けになるツールがあります。
知識もツールも、実践してこそ力になる。
我が子に練習メニューを出しながら、試行錯誤と工夫の日々です。
禅語として出会った言葉「一行三昧」
「一行三昧」…雑念を取り払い、日ごろの動作ひとつひとつを全身で味わうこと。
料理に比べれば、まだ得意?と思える整理整頓、掃除についても、そのものは単調な作業の繰り返しです。
毎日の生活の中で自分を磨く
繰り返される「あたりまえを支える仕事」に、今、自分のできる最善を尽くしたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。