チャレンジ

「好きだけど苦手」犬と暮らすステージに立つ覚悟ができる日は来るか

※この記事は「Twitter#3000文字チャレンジ企画」に沿って、画像・装飾なし文章のみ約3000字で作成しています。

スクロールとともに、飛ばし読みで1000文字/分で読んでいただいた場合、3分ほどで読むことができます。

すきま時間にお付き合いいただけると嬉しいです!

 

お題:『犬』

冒頭に申し上げているとおり・・・

私は犬が「好きなのに苦手」です。

ちなみに猫アレルギー。

犬に関わらず、動物と同じ空間で暮らすステージに上がれていないと感じております。

そんなこと言ったら、人間も動物やんか・・・ということなんですが、人間は「言葉」で何とかなる(ならない場合ももちろんありますが)という経験上の慣れがあります。

きっと、人間一回目なんだと思います。

動物の目はごまかせません。

特に、犬のうるんだ黒目は、きっと人間の本性を見抜いてる気がするのです。

猫の鋭く射貫くような目が苦手らしい父親は、健気に付き従う犬好きでした。

実家では10年前まで途切れることなく犬を飼っていたんです。

番犬として、代々外飼い。

どこかから父親がもらい受けてきた、日本犬の雑種ばかり。

昭和のいい加減さで、初期は残飯を餌にしていた記憶あり。

たまにホースで直接水を浴びせる以外は、シャンプーをしてあげたりもしないので、季節によっては抜け毛と獣臭全開(+_+)

父親の好みの名前は「ベル」。

初代ベルの記憶は、小学校に上がってすぐの頃。

すらっと白い犬でした。

番犬としては優秀。子どもたちに吠えることはもちろんなく、動物好きだった姉に懐いていました。

4歳上の姉は、とびぬけて背が高く、小柄でどんくさかった私は、いつも小走りでついてまわっていて、何もかもかなわない存在でした。

今から思うと、姉は思春期の入り口。学校での悩みとかたまったうっぷんが色々とあったのかもしれません。

家で、相手になるのはどんくさくて怖がりの妹だけ。

ちょっとでもおもしろくなれという出来心でしょうか、ある日ベルを抱っこした姉は向かい合わせの二人乗りブランコに座り、おもちゃの犬(ジングル)を私に抱っこさせて、向かいに座るように指示します。

いくら賢くおとなしいベルでも、目の前に「犬」の姿をしたジングルがいれば、反応せざるを得ません。

ようするにジングルもろとも私に襲い掛かってくる感じになり・・・ベルに噛みつかれたジングルはちぎれて、ぬいぐるみ部分が破れはてます。

姉は「手術」と称して、ジングルを縫い合わせるという子供らしい残酷な遊びです。

だから犬が苦手になったのか?

姿を見て「かわいいな」「気持ちよさそうに寝るな」等々、自然とわく感情はあるのだけれど、自分からは近づけない。

実家の犬を抱っこしてかわいがるのは姉。私はそばで見ているという関係のまま、初代ベルを見送った後の犬たちとも、戯れた記憶は全くないままに過ごしました。

実家は10年前に最後の「ベル」を見送った後、父親の「自分より長生きしたらかわいそう」という理由で犬を飼わなくなりました。

どうしてだか、今でも実家の「ベル」がいたはずの場所につい視線がうばわれます。

どこか寂しい。

苦手だけれど、嫌いではないんです。

言い訳くさいのですが、犬と暮らすことに憧れはあるのです。

社会人になってから

訪問リハビリ先の利用者さん宅が動物を飼っていることは珍しいことではありません。

それも小鳥や猫だけでなく、犬も、家の中であたりまえに暮らしていることが増えてきた昨今。

「かわいいですね~」「かしこいですね~」なんて言いつつも、近づいてこないでーーーと心の中で願いつつ平静を装います。

「人柄と動物好きは比例する」という、勝手な妄想と圧に負け、何とか動物が好きで一緒に暮らしておられる利用者さん、ご家族の気分を害さないよう、「見ている分にはかわいい」という本心と愛想を使ってのりこえてきました。

動物たちに、気難しい利用者さんとの微妙な空気を助けてもらったことも何度もありました。

会話が弾まずに気まずい空気になると、絶妙なタイミングで一言鳴いて、空気をなごませてくれたオウムのごんちゃん

必ずお尻のニオイを嗅いでくれた(・・;)大型犬の花子

訪問終了5分前きっかりに、吠えて終了を合図してくれたマルチーズのテリー・・・

 

「犬が苦手」ということは、これまで出会った利用者さんにも、同僚にも知られないまま過ごしてきました。

 

動物は、そのまっすぐな瞳と野生の勘で「人」を見抜く力を持っている。

相変わらずペットショップの子犬にすら、ドキドキして怖気づくしまつです。

 

好きだから気になる存在

 

2人目を授かれずに悩んでいた頃、「犬飼い出したら終わりですよ~」なんて、順調に子宝に恵まれ産休に入る後輩の、何の気なしの言葉に傷つきつつ・・・

5年ほど前から、ホームセンターのペットショップを「見るだけ」がひそかな楽しみになりました。

これは運命の出会い!?と思える子犬に出会って、抱っこさせてもらって、家に向かい入れる妄想をしては、タイミングが合わず・・・

 

一緒に暮らすというのは家族になるということ。

家族、自分の面倒すら手に負えない!と情けなくなることが多々ある身・・・

人間だって風呂にはいらなければ臭くなるのは当たり前、抜け毛もある。

トイレでの排せつするのも、教えてもらったからできるようになった。

全部、犬に覚えてもらって、お世話する覚悟はあるか?

 

動物は動かないと病気になる。

これも人間と同じ。

毎日散歩に連れて行ってあげられる?

 

フル回転で仕事していた頃は、不在の間、「鳴いて迷惑かけたら困る」、「空調をつけたままにしてあげないといけないのはもったいない」と、飼えない理由を考えては、無理だとあっさりあきらめられていたのでした。

昨年、ダックスフント2頭と一緒に暮らしていてる、高校時代の友人の家に遊びに行く機会がありました。

2頭は保護犬であること、ペットショップで買うのではなく、保護犬というのも考えてほしいという話を聞き…

クリアしないといけないステージがさらに上がった状態にもなっております。

それでも、いつか一緒に暮らしてみたい。

Twitterの犬、猫の写真を見ては素直に癒され、かわいいと目出ております。

また、YouTubeの犬動画と言えば、「高須幹也チャンネル」(^^♪

言いうこと聞かない秋田犬が面白くて必ずチェックしています。

そして、ペットショップでは買わないと決めているけれど、ペットショップの犬、猫の目から逃げないように(犬たちには迷惑(-"-))、見つめて話しかけてみたり・・・

もしも、家にこの子達が来たら?と妄想してみています。

見ているだけのステージから、面倒くさいことも全部ひきうけて一緒に暮らすステージにあがる覚悟はあるか?

すでに家族として犬や猫と暮らしている方からすると、何を大げさなと思えるような問答を繰り返しております。

いっそう、犬と触れ合う公園やカフェに行って来たらと言われましても、そういうことではないのです(^^;

犬と暮らすということは、いのちを預かるということ。

いい加減なことはできません。

「生き物に対する怖れ」はずっと消えないと思うんです。

人間一回目ゆえ、ゆるしてもらいたい。

 

一緒に暮らすなら、当然「犬」と決まっているかのようにここまで話してまいりました。

実は、気ままな猫の方が世話かからなくていいよ~と「猫派」の旦那が我が家にはおりまして・・・

折に触れ「もう猫アレルギー治ってるかもしれないよ~」と根拠なく誘惑してまいります。

ここは、ひと呼吸おく意味で?行きつけのホームセンターのあの子が新しい家族と出会ったかどうかを確かめに、久しぶりに行ってみることにしたいと思います。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました☆

 

#3000文字チャレンジ
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