2020年1月末に16年間勤めた職場を退職。
コロナ禍の中、失業保険をいただきながらの「お暇期間」は、自分の仕事人生を振り返る貴重な時間になりました。
そして、40代半ばで思い切って「ずっとやりたかった仕事」未経験職種への転職に挑戦。
2021年1月、正社員として復職しました。
一週間の研修期間を経て、先週から配属先での勤務スタート。
全時間帯「夜勤ー宿直ー早出、フリー勤務(定時/遅出)」の勤務を経験しました。
まだ見習い期間なので、今月中にもう一度ひとサイクル勤務経験した後、独り立ちとなる予定です。
20年以上のリハ職としての医療・介護業界でのキャリアを「捨てて」なぜ、未経験職種(保育士)に挑戦したのか?
実際に、「ずっとやりたかった仕事」についてみた感想と合わせて、振り返りを記録しておきたいと思います。
結論・・・
この記事は、40代半ばで未経験職種に転職した一個人の感想記録です。
【40代未経験職種】転職した理由と1か月目の感想
未経験職種への転職ー迷いと選択の理由ー
退職後、思いがけずコロナ禍となったことで、「いのちは一つ、人生は一回」ということを強く意識させられました。
一度きりの自分の人生、自分の時間(いのち)をどこに使うのか?
元々、2019年夏にリベ大の価値観(人生の価値観マップをつくろう!原因自分論などの考え方)に出会ったことで退職を決意。
お金・今後の生活・家族のこと等々、いろいろあれど、ここで新しいことに挑戦せずしてどうする?という思いが出発点にありました。
されど、40代半ばで未経験職種への転職…自分にできるのか?
✔年齢的に、自分の選択で退職していたとしても、「会社から戦力外通告を受けた」とみられてしまう
✔同職種でキャリアアップしていくのが転職の王道
✔未経験職種への転職は0から、年齢的にはマイナスからの出発
等々…転職系のYouTube動画を視聴しては、落ち込んだりもしました。
思い入れをもって自分なりに一生懸命勤めてきた「作業療法士」の仕事を裏切るような気持ちにもなり、関連職種であるケアマネ資格の再研修期間を利用し、自分に何度も問いかけました。
なじみの仕事に戻るか、未経験職種への挑戦か
退職時点で「心のこたえ」は出していた
じつは、3月失業認定申請時点で、「ずっとやってみたかった仕事=児童養護施設への就職」について、相談していたのでした。
初回に担当となった相談員さんの娘さんが、児童養護施設で勤めておられるという偶然の「ご縁」もあり、「経験は活かせるし、保育士としての転職なら可能性はある」と前向きなアドバイスをいただきました。
秋になってから、近隣の児童養護施設求人を発見。
感染拡大の第二波が迫る直前に、ハローワーク経由で面接を受け、無事採用となりました。
採用決定後、分かってはいたけれど、新卒とほぼ変わらない基本給提示に、情けなくゆれる心を記事にしております。
「心のこたえ」は学生時代にさかのぼる
求職活動は「自宅から近い」を最重要視して新聞広告でサクッと決めた、育休明けの1回きり。
今回、十数年ぶり2回目の求職活動では、40代就活記事でも紹介させていただいた「職務経歴書の書き方」を参考にしつつ、履歴書、職務経歴書の作成を通して、「未経験職種への応募理由」を言葉にするため、自分に向き合いました。
なぜ、育休からの復帰直後に独学で「保育士資格」を取得したのか?
通信大学で「心理学」を学ぼうと考えた理由は何か?
全てが、「いつか児童養護施設で働いてみたい」という学生時代の出会いにつながるのでした。
おもちゃやごっこ遊びが好きで、「年下の子のお世話がうまい」「子ども好き」と人から言われたのが中学生のころ。
高校時代は、精神科医(心に興味があった)、現実的には小学校教諭、養護教諭など「自分の知っている仕事」につきたいと考えていたものの…
学力が足りず(・・;)、当時の担任にすすめられて、学費の安い医療短大を受験。
ラッキーにも合格してしまったことで、「決まった職業につくための」短大時代開始。
当時の作業療法は「医学モデルから生活モデルへ」、「アイデンティティクライシス」が話題となり、英語和訳ではない日本の作業療法士によって作成された教科書がようやく発刊されはじめた過渡期でした。
パイオニアの先生方から学びつつ…
時間的余裕のあった一年生の時に、児童養護施設の子どもたちと遊ぶボランティアを経験。
様々な理由で施設で暮らす子どもたちと、ただ楽しく遊ぶという経験でしたが、児童養護施設の存在、子どもたちの成長をサポートする仕事があることをはじめて知りました。
また、地域で暮らす障がい者介護ボランティアを経験する中で…
障がい当事者から見たリハ職、子どものころに受けさせられたリハビリへの批判をお聞きして葛藤。
実習先では、子どもたちを含めて対象者に「訓練」と称して関わることに悩んだり…
世間知らずの若気の至りも多々やらかしました(・・;)
児童養護施設の仕事に後ろ髪をひかれながらも、自分がこれから就こうとしている仕事への葛藤のこたえを見つけようと、地域医療に取り組む職場に就職したのでした。
「遊びの中で子どもは育つ」という考え方に魅力を感じて過ごした学生時代。
もしも発達分野に就職していたなら、そのまま真っすぐにキャリアを積めていただろうか?
赤ちゃんを求める自分の「あたりまえ」と弱さ
「赤ちゃんが欲しい」
まだ結婚もしていない短大卒業直後に、生理不順で受診した産婦人科で「自然に授かるのは難しい」と告げられました。
赤ちゃんを授かることに強い憧れを持って働く中で、思いがけないタイミングで我が子を授かることができました。
出産まで自分を支配していた感情は、「どうか五体満足で生まれてきて欲しい」という願いでした。
障がいをもつ子どもたちを支援する仕事についていながら、病気や障がいへの恐怖を強く持つ自分を自覚しました。
発達障がいを持つ子どもたち、両親が抱える葛藤に、はたして自分は向き合うことができただろうか?
向き合いきれずに逃げ出してしまっていたのではないか。
「健常に近づける」ことをリハビリテーション支援とするならば、それは「違う」。
自立とはどういった状態をさすのか?
ほんのわずかな変化、成長を見逃すことなく、キャッチできる感性を磨き続けられるのか?
ともに育つ人として自分は成長しつづけられるのか?
少なくとも、学生の頃よりは、人生の経験を重ねてきた。
自立とは何か?、障がいを持つこと、格差のある社会の中で、共に生きるということ。
完璧な答えはもっていないけれど、答えを探しながら、子どもたちの近く、暮らしの場で共に成長したい。
残りの限られた人生の時間(いのち)をどこで過ごすのか
出した結論は・・・
かつて選択することがかなわなかった仕事
「子どもの成長」を暮らしの中でサポートする保育士として、様々な理由で、親元を離れて暮らす児童養護施設の子どもたちのもとで働いてみたい。
という「心のこたえ」でした。
働くこと。仕事は楽しい!
第一子を8か月で保育園に入れて前職場に復職した後、何人もの後輩が産休・育休に入る中で、2人目を期待しながら落胆する日々。
自分の中で責任をもって育てられる年齢として決めていた40歳までに授かることなく、ほんのわずかな期待を持つことも難しい年齢になりました。
「生まれてくる全ての命は奇跡」です。
大切な命を社会にお返しできるよう、大事に育てたい。
子どもは親や環境を選べず、残念ながら、親もとで育つことが難しい子どもたちがいます。
一人でも多くの信用できる大人に出会い、生きることを喜べる人生をどの子どもにも送ってもらいたい。
自分自身が、「信用できる大人たれるか」はこれからです。
体力面も記憶力など新しいことを覚える力も、若いころに比べて残念なところはもちろんありますが…
働くこと=傍を楽にすることは、人間の根源的欲求なのだ、とあらためて思います。
『仕事は楽しい!』
というのが今の素直な気持ちです(^^)
かつてボランティアをしていた頃のように、大勢の子どもたちが集団生活を送る施設から、地域の小規模施設へ、家庭的環境での支援をすすめていく政策がすすんでいます。
義務教育、高校卒業後の支援も手厚くなりつつあります。
その上で、コロナ禍、貧困、厳しい雇用環境にある社会と無縁ではありません。
過渡期の職場環境ではありますが、穏やかで経験豊富な先輩、年下ながら、めちゃくちゃ頼もしく優しい先輩方に恵まれました。
未経験一年目、重要な業務である「料理」が苦手すぎて、ポンコツぶりをすでに発揮しつつも、新しいことにこの歳で挑戦させてもらえることに感謝です。
そして何より、子どもたち…みんなかわいいです(^^)
健康第一に、常に自分の機嫌は自分で取りながら、日々勉強!
笑顔を忘れず、働き続けたいと思います!
『一期一会』
今の気持ちを忘れることのないように、記録しておきます!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました☆