2020年8月に始まった介護支援専門員再研修も残りあと1か月になりました。
最終日は、提出事例の検討会となるので、テーマ別事例研修は今回で最後となります。
最終テーマは「看取り期のケアマネジメント」です。
リハビリテーションの分野で「看取り」「緩和ケア」がまだはっきりと対象化されていなかったころ、通常の老年期分野で働くか、緩和ケアに特化した病院に転職するかに悩んでいた友人が話題になった時の先輩の言葉です。
確かに、あんなに元気だった〇〇さんも、□□さんも、東京オリンピックまで生きるって張り切っていたのに。
数年間のうちに、何人もの利用者さんとのお別れを経験しました。
緩和ケアと言えば、ガン末期の方が主な対象。その多くは数か月内に余命宣告を受けておられる方々です。
ただ、ガン末期に限らず、高齢期は複数の病気を持っておられることも珍しくなく、終末は必ず来ます。
それも、向き合っているときには予想もしていなかったタイミングでお別れが訪れるという実感があります。
コロナ禍となり、多くの病院・施設で感染対策として、面会の制限措置がとられており、終末期に共に過ごすということが難しい状況となっています。
また、コロナ感染者については、最後のお別れも、通常通りにはできず、遺骨になってから対面するというショッキングなニュースも目にしました。
「人生の終末」「看取り」をどう考えるか、ということについて、これまで作業療法士として立ち会った「看取り期」の利用者さんについて振り返りつつ考えてみたいと思います。
また、研修を通して学んだことも追記していきます。
【看取り】人生の終末期に立ち会うということ
自宅での看取り=ケアマネ登場のとき
介護支援専門員実務研修テキストの厚労省資料によれば、死亡場所の74.6%は「病院」であり、緩やかに減少している一方で、施設での看取りが微増。「自宅」が死亡場所となっているのは12.7%とのこと。
※昭和26年当時は、死亡場所「自宅」が82.5%。「病院」はわずか9.1%。
本人、家族の意向で「自宅」での看取りを選択されても、病状の急変等で入院となり、そこでお亡くなりなるというケースはやはり多いように思います。
これまで出会った多くの利用者さん、80歳、90歳…人生時計もあと残り1時間、2時間と人生のタイムリミットに近づいておられる方が中心でしたが、介護者である家族や支援者と、どれだけの方が「終末期をどう過ごしたいか」を話し合えていただろう?と振り返ります。
医療・介護従事者として出会う、最初の場は、病院や施設。
「家に帰りたい」
家族がいても、一人暮らしであっても、ほとんどの方がそう言われます。
一方で、病院は、死が今すぐではない、積極的な治療も必要ではない、という時には、医療保険制度上、「安心だから」という理由では長く入院することができません。
そこで、ケアマネ登場です。
自宅での「看取り」を踏まえた、在宅調整がすすめられます。
できるだけ、良い状態を保って自宅で過ごしたい。
そういった希望を叶える意味で「訪問リハビリテーション」が選択されることが、少しずつですが増えてきました。
これまで立ち会わせていただいた看取り事例
Aさん:ガン末期の80代女性
旦那さんをなくされてから、大きな2階建ての一戸建てに一人暮らし。
最後の最後は一人娘さんに世話をかけたくないという理由で、病院を希望。
ただ、今すぐではないから、旦那さんの三回忌の法事だけは自宅でやりとげたいという希望で、期間限定で娘さん泊まり込み、訪問リハビリテーション支援も開始。
お屋敷の2階に仏間があり、長期の入院で弱ってはおられたが、見守り、動作を工夫すれば階段の昇降が可能であること、法事の間、椅子を準備することなど段取り。
無事に法事を済ませた、翌々週の病院受診時に検査結果が悪く入院。
そのまま最後を迎えられました。
Bさん:がん末期(80代男性)
奥さんと娘さんの3人暮らし。最後まで口から食べさせたいという思いを支えたケース。
「食べること」が好きなのに「食べなくなっていく」ということを娘さんが受け入れられるよう、主治医、訪問看護、訪問介護と一緒に見守りました。
尿量が少なくなっていく、点滴が入らなくなっていく、死にむかっていく中、不安になって救急車を呼ぶのではなく、自宅で最後まで…。
死を受け入れるということはどういうことかについて学ばせていただきました。
研修の学びから「アドバンス・ケア・プランニング」
「気持の揺らぎ」は必ずおこる。
死にゆく人の心理過程については、キューブラ・ロス氏がまとめられたものが有名です。
【死にゆく人の心理過程】
「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」
比較的症状が安定している時期に、利用者・家族と、ケア全体の目標や具体的な治療・ケアについて何度も繰り返し話し合っておくことを「アドバンス・ケア・プランニング」というそうです。
✔大切にしたいことは何か
✔嫌なことは何か
「延命治療を望むか望まないか」については、利用者・家族の意向を「事前確認書」として書面で記録しておくことが病院ではなされています。
ただ、それが本当に本人の意向か?家族の意向が優先しているのでは?と感じるケースにも度々出会いました。
いずれは、親や自分自身がその立場になる。
その時期が近付いていることは確かです。
今回の研修をきっかけに、誰もが「当事者」として「終末期」を考えることの必要性を感じました。
※研修後、あらためて学んだ事があれば追記していきます!
人生の最後までどこでどのように「生きるか」
つい先日、リベラルアーツ大学・両学長のYouTubeで「タイムバケット」を話題に、有限の人生の時間を5年、10年ごとに区切って、「したいこと」をバケットに放り込むように決めていこう!という発信がありました。
バケットリストと同時に紹介されていたのが、「相続」について書いておこう!というもの。
死を意識してこそ、より良く生きられる
という発信だったように思います。
これまで、自分がキャッチできていなかっただけかもしれませんが、エンディングノートを書いておられた利用者さんにお会いしたことはありません。
誰もが例外なく100%向き合うことになる「終末」。
今後は、「エンディングノート」を書くのがあたりまえの世の中に変わっていくかもしれません。
あらためて、死を考えることは「どう生きるか」を考えること
このことを忘れずに、これからの自分の人生も、ケア職としても生きていきたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました☆